KATO 20系客車 改造計画 K03-1

国鉄20系客車は、1958年に開発した寝台特急列車用客車です。

1958年から1970年までに合計14形式473両が製造され、最終的には21形式479両となりました。塗装は青15号にクリーム色1号の帯を3本巻き、「ブルートレイン」の起源となりました。最後尾の非分割緩急車としてナハネフ22が存在しますが、Nゲージの世界では、その昔は、座席車のナハフ20 しかありませんでした。

一方、分割用緩急車としては、ナハネフ23しかありませんでした。現在でも、ナハネフ22はオークションではかなり高い部類に入ります。

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左がナハフ20、右がナハネフ23

ナハフ20:
1958年から1963年にかけて製造された2等座席緩急車。
最後部に連結される非貫通式流線形緩急車。
1~6、51~53の9両が製造されたが、1958年から1959年にかけて製造された1~3、51、52は製造技術面の問題で、妻部窓ガラスを平面4枚窓とし、4~6、53は曲面ガラス2枚窓が採用された。1965年以降は寝台特急列車全席寝台化の方針により順次寝台車に改造され、ナハネフ20形に3両・ナハネ20形500番台に1両・ナハネフ22形500番台に5両が改造された。

ナハフ21:
1959年から1963年にかけて製造された2等座席緩急車。
編成中間に挟んで分割併合に対応するため、切妻・貫通式とした形式。
1~4、51~56の10両が製造されたが、1965年以降ナハネフ21形に6両、ナハネフ23形500番台に4両が改造された。

ナハネフ20:
1964年、1965年にナハフ20形を改造した2等寝台緩急車。
2窓分で1ボックスとした窓割をそのまま流用しているため、寝台の1ボックスあたりの幅が従来車より広い。そのため寝台はナハネフ22形に比べ少ない。
1968年度以降の改造では新造車体に載せ替える工法へ変更しナハネフ22形500番台に移行した。

ナハネフ22:
ナハフ20形に代わって1964年から1970年にかけて1~26が製造された非貫通式2等寝台緩急車。

ナハネフ23:
1964年から1970年にかけて、1~20が製造された貫通式2等寝台緩急車。

というわけで…、古典的な改造です。

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KATO製の ナハフ20の展望室とナハネフ23の緩急部分を挿げ替えて、ナハネフ22(風)とナハフ21(風)を作りたいと思います。 

初のKATO製品客車の改造です!!! 

しかし、このナハフ20もナハネフ23も、かなり古い(^^;