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●志布志
一きれの雲もない
空のさびしさまさる
種田 山頭火(たねだ さんとうか)は戦前の自由律俳句のもっとも著名な日本の俳人。
むか~し、国語の教科書に載ってなぁ~くらいの記憶しかない(^_^;
なにしろ、国語は苦手なもので・・・。
放浪の俳人・種田山頭火が志布志を訪れたのは、昭和五年の秋のことである。
十月十日福島から徒歩志布志に入り、鹿児島屋に二泊滞在しながら街中を行乞し、十二日志布志駅から都城へ向かっている。この間山頭火は四十六の句を詠んでいるが、この旅の日誌『行乞記・あの山越えて』には当時の志布志の様子がいきいきと描かれている。
酒を愛した山頭火は、きき水の名人でもあった。旅に明け暮れた一生の中で水を詠んだ句は多く、行く先々で水を味わい、水に心を寄せており、晩年の彼は清澄の心境となっている。
そして、志布志駅 駅舎。
日南線は盲腸線ですが、西都城~志布志に志布志線が、また、国分~志布志経由の大隅線もあったが、1987年に廃線。つまり、この駅は元々は三線の合流地点。この駅舎は、その後に立て替えられたものですが、写真撮影ポイント付近へ線路が続いていたようです。
こちらの写真は、上の駅舎を撮った撮影ポイントを、駅舎側から撮影。
つまり、この先に線路が続いていた、というわけ。
左側に少し写っている直線道路は、志布志線と大隅線が平行して走っていた線路跡を道路に転用したもののようです。この先に、「志布志鉄道記念公園」があり、C58 112、ヨ8951、キハ52 130が展示されているようですが、行ってません(^_^;
いまは、単式ホーム1面1線と側線4本を有する簡素な地上駅ですが、廃線前は駅舎のあったホームが1番線、跨線橋を渡って2番線・3番線の島式ホームがあったらしい。
乗車してきたキハで宮崎へ戻ります。
●志布志
| 13:44発
| JR日南線(普通)[油津行]1時間10分
| 14:54着
○油津
| 14:57発
| JR日南線(普通)[南宮崎行]1時間19分
| 16:16着
○南宮崎
| 16:35発
| JR日豊本線(普通)[西都城行]52分
| 17:27着
○都城
| 18:43発
| JR日豊本線(普通)[鹿児島中央行]1時間38分
| 20:21着
■鹿児島中央