加悦 DB201/DC351/DB202/TMC100/KD-4(R2-22-7)

2020/3/23(月)

DB201(製造会社:株式会社森製作所 1953年2月製造) 

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DB201は 10tディーゼル機関車です。戦後、石炭価格の高騰に伴う運転経費の増大に対処するため導入しました。森製作所では蒸気機関車改造のディーゼル機関車が多いのですがこれに関しては完全新造によるものです。 森製作所製機関車の唯一の生き残りだそうで”森ブタ”の愛称で親しまれています。1967年DC351入線後は予備車となり、1972年1月以降は休車となりました。

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1999年(平成11年)動態化復元に成功。

森製作所は、第二次世界大戦前に産業用内燃機関車メーカーとして創業しました。現在は鉄道車両製造業から撤退し、産業機械メーカーとして存続しています。


DC351(製造会社:汽車製造株式会社 1956年3月製造)

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蒸気機関車廃止後の工場側線用として南部鉄道DC251を廃止前の1967年に日本冶金が購入し、旧国鉄丹後山田駅(現与謝野駅)~日本冶金工業大江山製造所(岩滝工場専用線)間の貨物列車を牽引しました。

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同年加悦鉄道借入認可となり、1972年までは岩滝工場専用線の他、間合い運用として客車牽引にも使用されましたが、1974年のDD352導入後は予備車となりました。


DB202(製造会社:株式会社日立製作所 1963年製造)

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日本冶金川崎で、構内側線、神奈川臨海鉄道1984年(昭和59年)まで使用されていた15t牽引可能なDLです。展示用に譲渡されたもので、近年動態化され保存されています。

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L形機に見えますが裏にも小さなボンネットをもつセミセンターキャブ機です。
実働時には別の塗装で、加悦SL広場に搬入時に現在の塗装デザインになったようです。


TMC100(製造会社:富士重工宇都宮工場 1961年製造)

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1961年に富士重工業で製造され、国鉄福知山機関区に配属されていました。1978年に加悦鉄道が譲受し、廃線まで保線作業・除雪作業に活躍しました。動態保存機。

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富士重工業(現SUBARU)は1955年に鉄道車両分野へ参入し、気動車の製造を開始しました。特急や寝台客車の他に、保線作業用車両やコンテナの生産も幅広く手がけていました。2002年に鉄道車両の製造事業から撤退を表明し、2003年に新潟トランシスへ事業譲渡しました。


KD-4(製造会社:加藤製作所 1956年製造)

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1956年、日本通運山陽本線万富駅キリンビール専用線利用を目的に新製し、1971年に岡山駅日本専売公社専用側線に転属しました。1976年に用途廃止となり、ジーンズ縫製工場の看板として展示保存されていました。1999(平成11)年に加悦鉄鐵保存会が譲受し、2008年(平成20年)動態化に成功しました。”カトーくん”の愛称があるのだとか。

加藤製作所は、1920年代中盤から1960年代後半まで、加藤鉄工所(加藤製作所)は主として専用鉄道や工事用軌道などで用いられる小型内燃機関車の製造を行っていました。
第二次世界大戦後は主として建設省林野庁向けに大きなシェアを獲得し、日本国内の産業用小型ディーゼル機関車市場の大手メーカーとして著名でした。1960年代に入り大型トラック類が普及すると、これらの小型内燃機関車製造事業は大打撃を受け、機関車事業から撤退し、以後は建設機械専業へと業態転換がなされました。そういえば、クレーン車で 「KATO」の文字を見かけますね。